秋のスウェーデン民族音楽研修会の関連イベント、講師二人による
コンサートの演奏曲の曲名と解説です。すべて講師本人達からの情報をもとに、貴重な内容を記載することができました。尚、演奏を予定していて当日時間の関係で演奏されなかった曲についての解説も入っています。参考になさってください。
♫ ♫ ♫ ♫ ♫ ♫ ♫ ♫ ♫ ♫ ♫ ♫ ♫ ♫ ♫
レイフ・アルプショー & トール・プレイエル
LEIF ALPSJÖ AND THOR PLEIJEL
2013年11月8日(金) スウェーデン大使館コンサート
セットリスト (翻訳協力:林りえさん)
■■前半■■
合同演奏:レイフ・アルプショー、トール・プレイエル
1. 60歳のポルスカ 60-årspolskan to Curt Tallroth
ハルボ(Harbo)に住んでいたフィドラーの名手、クート・タルロート(Curt Tallroth)の60歳の誕生日を祝うために、ウーロフ・ヤンソン(Olov Jansson)が作った曲。
2. Drunk As A Crow
伝統的なボンドポルスカ・スタイルの曲。エリック・サールストレムが伝えたもので、「カラスのごとき酔っぱらい」というタイトルどおり、お酒を飲みすぎたことについての歌詞もつけられている。
3. ヴェステルマルンのポルスカ Västermarnspolskan
スウェーデン伝統音楽に語り継がれる伝説的なプレイヤーの一人、ビュス=カッレ(Byss-Calle)が1790年頃、悲しい気分の時に作曲したとされるスローテンポのポルスカ。「あるフィドラーがお金持ちの娘と恋をしたが娘の父親に結婚を反対されてしまい、失意の中でフィドラーの役目を全うすべく彼女の結婚式のために曲を作り納めた。」というストーリーが背景にある。
ソロ演奏:トール・プレイエル
4. グロッダ・ワルツ Groddavalsen
トールの出身地、ゴットランド島では代表的な伝統曲としてよく知られている曲の1つ。グロッダ(Grodda)は北ゴットランドの農場の名で、経営していた家族は18世紀に音楽家一家としても名をはせていた。
5. リンゴメ・ヤンネのポルスカ Ringome Janne's polska
60年ほど前、リンゴメ・ヤンネの誕生日を記念してつくられた曲。スヴァンテ・ペッテルション(Svante Pettersson)という、ゴットランド出身の有名なフィドル奏者 兼 伝統曲収集家が伝え広めた。
合同演奏:レイフ・アルプショー、トール・プレイエル
6. ビュグナン Byggna'n
1834年、ウップランド地方北部のエルヴカーレビー(Älvkarleby)にある教会の鐘楼を改築した記念にビュス=カッレが作曲したもの。Byggna'nとは、「(〜に建てた)建物」という意味。
ソロ演奏:レイフ・アルプショー
7. エリック・サールストレムによるさよならの曲 Avskedsgånglåten av Eric Sahlström
兄弟が17キロ離れた場所へと引っ越すこととなり、その際にエリック・サールストレムが作った別れの曲。
8. エンヴィークのワルツ Enviksvals
ダーラナ地方、エンヴィーケン(Enviken)のウィルヘルム・ヘドルンド(Wilhelm Hedlund)が伝え広めたダンス向けの曲。長調と短調が交差する。
合同演奏:レイフ・アルプショー、トール・プレイエル
9. 丸太切り Sågfallet
小川からの水流で動く水車によって稼働する丸太用ノコギリの様子を表したポルスカ。
ソロ演奏:トール・プレイエル
10. ダルフォッシュのポルスカ Polska efter Dalfors from Ore in DalarnaP11.
ダーラナのオーレ地区に住んでいたハンス・ダルフォッシュ(Hans Dalfors)が広めたポルスカで、通称「オーレ・ポルスカ("Ore-polska")」と呼ばれる。
11. グスタフ・ストルペのポルスカ Polska after Gustaf Stolpe
現在トールが住むイェストリークランド地方(Gästrikland)のTorsåkerという村の教会にかつて働いていたという、グスタフ・ストルペ(Gustaf Stolpe)が広めた曲。
合同演奏:レイフ・アルプショー、トール・プレイエル
12. トーボグッベン(トーボのおじさん) Tobogubben
ニッケルハルパ弾きの間で定番曲となっているボンドポルスカ。Toboはエリック・サールストレム(Eric Sahlström)ゆかりの地。この曲は本来、ヴィクスタ(Viksta)に住んでいた元兵士のエリックの父方の祖父にちなみ「おじいさんのポルスカ(Farfarspolskan)」という名前だった。ところが1960年頃、エリック・サールストレムがエリック・エスト(Eric Öst:著名なフィドル奏者)やオッレ・カールソン(Olle Karlsson:アコーディオン奏者)らと日本への演奏旅行に向かう中、飛行機が日本海にさしかかった時にエリック・エストからこう持ちかけられた。
「このポルスカ、君にちなんだ名前に変えてみないか?君が住んでいるのはToboだから、Toboのおじさん、ということで”Tobogubben”にしよう。」エリック・サールストレムはToboから8Km北のイェクスビー(Göksby)に住んでいた。
■■後半■■
合同演奏:レイフ・アルプショー、トール・プレイエル
13. エンヴィーケンのニ短調のワルツ A walz in d minor from Enviken
ダーラナ地方、エンヴィーケン(Enviken)のウィルヘルム・ヘドルンド(Wilhelm Hedlund)が伝え広めたワルツ。
14. High and low (Bondpolska)
ハルボ(Harbo)に住んでいた有名なフィドル/ニッケルハルパ奏者、アウグスト・ボリーン(August Bohlin)が伝え広めた曲。
ソロ演奏:レイフ・アルプショー
15. 結婚式のマーチ Brudmarsch
セイロン・ヴァリーン(Ceylon Wallin)という、スウェーデンの切手にまでなった有名なフィドラーが広めた曲。
セイロンのヒゲはサンタクロースのように長いのが特徴。
16. ホルガローテン Hårgalåten
ハンボ・ダンスの定番曲。ヘルシングランド地方(Hälsingland)のホルガ(Hårga)では長い間ハンボ・ダンスのコンテストが開催されていたものの、今日ではほとんど廃れてしまっている。
■■アルスペル ALLSPEL:ニッケルハルパ奏者の皆さんと合奏
17. ボーツマン・デッキ Båtsman Däck
世界中のニッケルハルパ弾きの間で定番となっている曲のひとつ。「Båtsman」とは海軍船の船乗り(ボートマン)を意味し、「Däck」は実在した元船乗りでフィドル奏者だったヨハン・デッキ(Johan Däck、1848-1913)を指す。
1907年にウップランド地方初のフィドル・コンテストがヴァーレ(Valö)で開催され、ヨハン・デッキはバイオリンの部で優勝した。ヴァーレでは現在でも毎年夏にスペルマンス・ステンマ(民族音楽の集い)が行われている。
レイフからは、この曲にちなんだこんなエピソードをひとつ:
レイフが1970年代に演奏活動でヴァーレの老人ホームを訪れた際、この曲を弾こうとするやいなや、とある年配者が大声でこう言った。「私は子供の頃、友達とボーツマン・デッキの家に遊びに行ったことがあるぞ。彼が台所の椅子に腰かけて演奏するそばで、僕らがはしゃいで遊びまわったんだ。彼は親切な人だったね。」
ただし一方で、ボーツマン・デッキはそんなに親切でなかったという話もある。
セイロン・ヴァリーン(Ceylon Wallin、1922-1984)は、スウェーデンの切手の図柄に伝統音楽家として初めて採用されたほどの著名なニッケルハルパ奏者だが、彼の父アルビン(Albin)は、実はボーツマン・デッキからフィドルを習った人であった。セイロンが伝えたところによると、ボーツマン・デッキはいつも自分の息子ばかりを優先して曲を教え、若かりし頃のアルビンをないがしろにしていたという。曲を習いたい一心で、アルビンは、たとえばボーツマン・デッキが息子に教えているそばの芝生で昼寝をするふりをしながらレッスン内容を盗み聞きするなど、常に知恵を絞っていた。
18. エッペルボー行進曲 Äppelbo gånglåt
スウェーデン伝統音楽にとって象徴的な曲。西ダーラナ地方から広まったゴングロート(gånglåt:行進曲)であり、
世界中のスウェーデン伝統音楽愛好家の間で頻繁に演奏される。
最初にこの曲を演奏したのはエルトベリ(
Ärtberg)からやってきたカッレ(Kalle)という名のフィドル弾きで、皆に「エルトベリのカッレ」と呼ばれていたという。彼が楽器を弾くのはダンスの集まりで少年達が目に余る行動をし、ひどく腹を立てた時だけだった、という話もある。普段、エルトベリのカッレは演奏仲間と週1度会っていた。まずひとしきり一緒に弾いたあとに台所へ移動してレスリングを楽しみ、それからフィーカ(コーヒータイム)で一息いれ、また再度弾く・・というパターンだったそうだ。
アンコール:レイフ・アルプショー、トール・プレイエル
19. アウグスト・ボリーンのポルケット Polkett after August Bohlin
アウグスト・ボリーンが伝え広めたポルケット。
<参考>
以下の曲は時間の都合により大使館のコンサートでは演奏がかないませんでしたが、ワークショップ期間中に講師達が演奏した曲や、スウェーデン伝統音楽の集まりでよく耳にする曲も含まれていますので今後の参考のために。
参考1: ガムラ・ミンネン Gamla minnen
スモーランド地方(Småland)のアウグスト・ストレンベリ(August Strömberg)が伝えたショッティシュ(ホッティス)で、タイトルは「遠い記憶」という意味。
参考2: ゴットランドのロミンのポルスカ Polska from Gotland after Romin
クラシック音楽に多大な影響を受けているものの、ゴットランドでは生粋の伝統曲として伝わる曲。
参考3:エクルンダポルスカ1番 Eklundapolska No. 1
今は亡きフィドルの名手、ヴィクスタ・ラッセ (Viksta-Lasse)が作曲したニ短調の曲で、レイフ・アルプショーはヴィクスタ本人がかつて演奏していた通りに跳ね飛びながらの演奏をワークショップのミニコンサートで披露。
参考4:エクルンダポルスカ2番 Eklundapolska No. 2
ヴィクスタ・ラッセがフィドルを習っていた頃、課題曲を持ち帰ったものの途中の部分を忘れてしまい、代わりにポルスカを新しく作り上げてしまった。この時ばかりは彼の先生も笑って許してくれたのだそう。
参考5:イェスンダからの帰り道 Hem från Gesunda
1966年、エリック・サールストレムがダーラナにあるイェスンダ山のふもとで1日を楽しんだ後、帰りの道中に作曲したもの。ダーラナ地方のポルスカ独特のリズムが取り入れられている。
エリックが参加してきたのはスウェーデン初のフィドルの集まりおよびコンテストが開催以来60周年を迎えたお祝いだった。このイベントの一環として、すべての演奏者が一緒になって曲を演奏する、というものがあったのだが、最初の曲で早々に中断しなければならなかった。なぜなら演奏者それぞれのA弦チューニングが440Hzに統一されておらず、音がばらばらだったためである。
参考6:ロングバッカ ヤンス・ポルスカ Lång-Backa Jans polska
1810年頃の東ウップランドに実在した靴職人、ヤン・ホルムグレン(Jan Holmgren)の曲。
参考7:ビョルクリンゲ地方のG・アンダッシュのボンドポルスカ Bondpolska after Gås-Anders from Björklinge
ウップランド地方ビョルクリンゲ(Björklinge)出身のゴース・アンダッシュ(Gås-Anders)として知られるフィドラーの本名はAnders Ljungqvistだが、少年時代にガチョウ(gås,英語のgoose)を家畜として飼っていたことからこのあだ名が定着。20世紀にウップランドの7教区中、最も凄腕のフィドラーとして名をはせた。